2011年03月17日

あなたの魂の最も深い領域での津波

質問:私達が目の当たりにしている自然災害、また他の問題に対してどのような態度や姿勢で臨むべきでしょうか?

答え:私達は、自分たちの利己的な欲望が私達に自然の全レベルにおける不均衡を示し始めている特別な時期を生きています。

自然の最も低いレベルは静物レベルであり、現在私達は自然全体との不均衡と不調和を静物レベルで明らかにしつつあります。以下のレベルにおいても同じです:自然の植物レベルと動物レベル。今のところ私達はそれに気付いていないだけです。

私達は大きな危機状態にあります。「Domem」(静物)と呼ばれる天使との関係の危機に陥っているのです。同様に「Tzomeah」(植物)と呼ばれる天使、そして「Hai」(動物)と呼ばれる天使との関係でも危機に陥っています。これらすべての自然形態は非常に大きく調和が欠けおり、私達と対立しているのです。私達の義務はそれらを正すことです。なぜなら人間だけが自分自身を正すことで、残りすべての自然を正せるからです。

したがって私達の周りで目にする災害は私達自身の反映なのです。全ての責任は私達にあります。世界の静物レベル、植物レベル、そして動物レベルから何も求めることはありません。それらは人間と共に上昇したり下降したりするのです。

私達を取り巻く自然の静物レベル、植物レベル、そして動物レベルにおける問題によって、如何に私達が是正されていないのかを見ることが出来ます。これら全ての災害は私達自身の欠陥の反映または実演です。もちろん自然の“スピーキング”レベルである人間社会もです。世界で何が起きているのかを見て下さい。

私達にはこの地球上で自分たちのために真の楽園の生活をつくる機会があるというのに、私達が行っていることを見て下さい。もしも宇宙からの訪問者が私達が地球上で行っていることを見たとしたら、彼は私達の頭がおかしいと思うことでしょう。私達人間の心と感情はどこですか?本当にこれが高い知能をもち思考する人間の人生の整え方なのでしょうか?まったくの愚か者か自己をひどく嫌う人だけがそのようなことをするのです。

言い換えると、現在私達は徐々に自分たちの本当の内面状態(内部状態)を明らかにしているということなのです。そして、私達は内面の是正を通じることでしか外面世界(外部世界)との調和を達成することはないでしょう。

ライトマン博士のブログより
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2010年04月28日

人間性:欲望の塊




留まることを知らない人間の欲望の膨張は、いずれ人間自体を破滅に追いやるだろう。欲望とは人間を含めた地球上にいる全動物が有しているものであり、それ自体は悪くも良くもなく、中立である。欲望がなければ、文明の発達もなかっただろうし、現在のような便利な社会にもならなかっただろう。欲望なしにはインターネットやコンピューターでさえも製造されなかっただろう。欲望は私達の探究心の原動力でもあるのだ。しかし、社会が便利になったとはいえ、私達は本当に幸せになったのだろうか? 100年前と比べれは、現在の方が遥かに住みごこちはよいかもしれないが、幸せかどうかと聞かれて、幸せだと断言できる人はそういないのではなかろうか?

実際、私達が誤っているのは、その欲望の使い方にある。正確に言うと、欲望を利己的に使っているということ。言い換えるなら、その使い方における利己的な「意図」が誤っていて、それが世界の悪弊を生じさせているのだ。欲望は消滅させることはできないが、その使い方の意図を「利己」から「利他(愛他)」に変化させることが、現在人類に求められているのである。しかし、その方法と手段とはいったいどこにあるのだろうか?

もっと知りたい方はこちらをご覧下さい:
ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所

カテゴリ:
教育
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2010年04月23日

世界平和



世界平和を望まない人は世界にいるのでしょうか? 結局のところ、すべての人は幸せにくらしたい、平穏な人生をおくりたい、不安や苦しむこともなしにみんなと仲良く、喜びを分かち合って生活したいと望んでいるのでいるのではないでしょうか? 多くの人は、こんなのは非現実的であり、理想論者のきれいごとにすぎないと考えるでしょう。なぜなら、それが正解であるからです。人間には他者と仲良くすることなど絶対に無理なのです。ましてや、世界平和など絶対に実現しません!!人間の本質とは、エゴイズムです。自分さえよければ他者など関係ないという利己心のかたまりです。私達の心の中にあるこの利己心をどうすれば克服できるのでしょうか? それが不可能であるなら、人類の終焉はもうすぐそこまできているといっても過言ではありません。私達のエゴの膨張はその最高段階をむかえています。そして、これが全社会問題の原因になっているのです。それは私達の回りを見れば一目瞭然です。利己心またはエゴとは人々の絆を分断させる力なのです。現在何故多くの人が凶悪犯罪にはしり、酒や麻薬に溺れ、鬱病、自殺、孤独死、それに「無縁死」などといった新しい言葉もでてきています。また、人間のエゴは私達に「損得」でしかものを考えられなくさせ、ほとんどの人がその事実に気がついていません。自分が単に自己のエゴの奴隷であるとは気がついていないのです。私達はこの誤った「ものさし」を一刻も早く絶対的なものに変えなくてはなりません。その意味とは、エゴの使い方における意図を愛他的なものにしなくてはいけないということです。これがカバラの科学が教えることなのです。

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ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所
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2010年04月15日

なぜかバラなのか?



なぜカバラなのか?

スピリチュアリティーに対する願望を持つ人は、世俗的で人間的な充足(すなわち、上のビデオが説明した1から4の欲望段階)を追い求めている人とは、違います。私達は世俗的で人間的な欲求を満たす方法を既に知っていますが、スピリチュアリティーに対する欲求が目覚めると、それをどう解消すればよいのか、もう分からなくなります。


今日、スピリチュアリティーに対する願望を持っているほとんどの人は、彼らがその願望を持っていることさえにも気づいていません。スピリチュアリティーに対する願望を持つこれらの人の一部は、「スピリチュアリティー(霊性)」という言葉自体に対して、それが非現実的で、実現できないと考え、軽蔑さえしているのかもしれません。そのような人は、それが彼らの中で呼び覚まされている、スピリチュアリティーに対する、新しくてさらに進化した願望によるものであるという事実を知ることもなく、彼らの人生が空っぽで無意義であると感じます。彼らはまさに人生に対する不満と不平の原因がこれであるとは気づいていないのです。


多くの人々は子供のころ「私は何のために生きているのか?」と、自分に問いかけます。しかし、私達は歳を重ねるごとに、願望や欲望そして誘惑であふれかえり、この問いに対する注意がそれ、本当の答えを見つけたいという欲求は消え去ってしまいます。


それにもかかわらず、人生のある時点で、スピリチュアリティーに対する願望は目覚めてその問いを再びもたらします。そして、その答えを強く要求する人々はカバラに導かれます。カバラとは、まさにこの答えを提供する為だけに人類に与えられたものなのです。


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posted by watermouth99 at 04:20| Comment(0) | 経済・社会・暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月08日

ゾハール



『ゾハールの書』は二千年前に十人の男性から成る集団によって書かれた。これらの男達は、無生物、植物、動物という存在レベルを超越するすべてのものを研究して達成するために彼らの人生を捧げた。そして、彼らはその達成を『ゾハール』に記した。

これらの男達が発見したこととは、如何に完璧な自然の体系が機能しているのか、そして、如何に彼ら自身をその正された協調的な部分としてその中に統合するのかということであった。要するに、彼らは存在に於ける完全に自然と調和した永遠なる状態を発見したのだ。さらには、全人類もこの永遠なる状態に徐々に導かれていて、この書物が書かれた二千年後に、人々がそれを通し自分たち自身でこの完璧な状態を発見しはじめるようになることから、『ゾハールの書』が必要とされるようになることも、彼らは発見した。

「ゾハール」とは自然の中に存在する最も大きな喜びの名称であり、それは人類がその発達又は進化の完了段階で獲得するものである。ゾハールを記した男達は全員この段階に到達した。そして、その書物に秘められた力はそこから伸びてきている。その書物は、物語や寓話やその他同じようなものとして、知的に理解される為に意図されたものではない。それはむしろ、「本」というよりは「板」のように扱われるべきだ。その訳は、その上に「プレスすること」によって、つまり、より完全な存在状態を達成するという意志と努力をそれに入れることによって、ゾハールの標示、文字、そして語句が、その人によって理解されることはないが、徐々に感じ取れるようなやり方で、特にこの願望に影響を及ぼすからだ。

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2009年12月08日

人生の問題すべてに対する正しいアプローチ

マイケル・ライトマン博士のブログlaitman.comの記事です。
元記事はここです(2009年12月2日投稿)


人が精神的に進歩するには、スピリチュアルな道の上で直面するすべての問題が上層からきていることを理解しなくてはなりません。問題は様々な段階で私たちに与えられ、それには様々な種類があります。これらは特定の魂とその魂が是正に至るために必要なものによって決まります。


私達はなぜ特定の問題が送られてくるのかといったことについて分析すべきではありません。その問題が送られてきた段階にいる間では、その理由を理解することは絶対にありません。私達はあたかも問題に対して注意を払わないように、問題の上に登って、スピリチュアルなゴールのことだけを考えなくてはなりません。ゴールまでの道のりには、川や断崖絶壁、時には深海のようなどん底、時には大嵐を克服しなくてはなりません。ゴールに到達する為に障害を克服することで、私達はそれらを逆に役立たして、まさにそこからゴールを築き上げるのです!


障害が偶然に訪れることはありません。それらはすべて個人の魂の特性によって決められています。私達の魂は壊れていて、その破壊が問題の種類を決めているのです。そして私達がそれを修復する為に問題が現れます。


もしあなたが、すべての障害にもかかわらず、スピリチュアルなゴールを切望するなら、あなたはそれらを修復し、それらは知識と理解とつながりで満たされます。このようにして人は進歩するのです。しかし、その道は常に障害におおわれていて、これはまさに是正(修復・修繕)の最後まで続きます。この理由から、その道を“是正の道”と呼ぶのです。


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2009年11月28日

“事実”とは完全に主観的なものです

マイケル・ライトマン博士のブログlaitman.comの記事です。
元記事はここです(2009年11月27日投稿)


受取った質問:事実とはなんですか?


私の答え:私にとっての事実とは私が五感を通じて感じること(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)です。それは他のものと比較でき、測量でき、記憶できるものです。しかし、それは単に自分にとっての事実です。それは私と私の脳と私の感覚に関連づけられた完全に主観的な情報のひとつです。


他のクリーチャーはその同じ“事実”を違うように解釈し、その同じものに対する私の個人的な印象は、そのクリーチャーにとって“事実”にはならないでしょう。通常、自分たちの事実の確証は自分たちに類似するものからしか得ることができません。


質問(続き):しかし、私の内面状態は常に変化しています。なら、私が前に解釈した事実はどうなるのですか?


私の答え:私達は自分たちの内面的な印象を、あたかもそれが事実のように話します。しかし、私達が変化するとき、私達は新しい事実を認識しはじめます。古い事実と新しい事実は互いに矛盾する可能性があります。なぜなら、それらはすべて主観的であり、観測者によるものだからです。


私達は全ての物事を“物質的な自分自身”(自分の願望の合計)を通して理解します。私達の願望は常に発達していて、新しい事実がその中に現れます。私達がある物事に対して理解を深めるに従って、事実も同じように進化します。アインシュタインの理論がニュートンの理論を拡大させたようにです。ニュートンの古い事実または法則は未だに有効ですが、それらの有効性はある特定の状況下のときに限ります(光の速度のよりも遅い場合、小さな又は大きなエネルギー範囲内の場合。その逆の場合も同じです。原子間における大きな距離または小さな距離の場合等々)。


私達は全ての物事を自分の願望を通じて考察しています。また私達は事実を自分の願望の“厚さ”(アヴィウット-Aviut)の様々なレベルにおいて測定します。その結果、私達は同じ出来事を願望における数々の異なった層(または強度)を通じて知覚します。これらの層は相反せず、同時に存在していて、同じ出来事に対して異なった解釈を生じさせます。


例えば、スピリチュアリティーが人に明かされるとき、物質的な世界がそれによって消されることはありません。それどころか、それはより高いレベルの世界を露出させ、私達の物質的な存在を支配している原因と結果を明らかにします。


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ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所
posted by watermouth99 at 11:18| Comment(0) | 知覚・認知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

スピリチュアル・ヒーリングの人文科学と自然科学

マイケル・ライトマン博士のブログlaitman.comの記事です。
元記事はここです(2009年11月12日投稿)


カバラの書物は医学書によく似ています。医師は病気の患者に健康を与えることはできません。医者ができることは、患者が病気を治し健康になるために何をしなくてはならないのかということをアドバイスするだけです。


カバリストが私達にすることも、これと全く同じです。彼らの意図することは、スピリチュアル世界のイメージを描くことや、そこで起こっていることを単に説明することではありません。彼らの書物は、その中で説明されている授与の特質の様に私達がなることを手助けするために書かれたのです。私達は彼らの書物を使って、自分たちをこれらの行為と結びつけはじめ、その後に、自分達の特質、願望、意図に対して、スピリチュアリティ(クリエーター)に類似させる“プロセス”を応用できるようになるのです。


カバラの書物が書かれた理由は、勉強のためや知識と知恵を私達に与えるためでもありません。もしあなたのアプローチがこのようであるなら、あなたはスピリチュアルなどんなものも、見ること又は達成することもないでしょう。それどころか、そうすることは、あなたの達成したい結果(自分を変えて上層世界の“市民”になること)をもっと遠ざけることになるでしょう。


病気の患者が医学書を読むとき、彼は自分が治癒する方法以外に何も探そうとはしません。カバラの勉強をするときのアプローチもこうであるべきです。そうでないなら、勉強が知識のためだけになってしまい、その同じ書物は“生の万能薬”ではなく、“死の毒薬”になってしまうでしょう。


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ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所
posted by watermouth99 at 04:59| Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月08日

毎日のカバラ・レッスン



マイケル・ライトマン博士のカバラのレッスンはイスラエルの現地時間3:10AM〜6:00AMまであり、カバラTVで生中継されています。

もっと知りたいと思った方はこちらのサイトをご覧ください:
ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所
カバラTV
posted by watermouth99 at 07:57| Comment(0) | カバラ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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